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大数の法則を競馬に応用する意味とは。回数を増して平均化する証明は成り立たない?

大数の法則を競馬に応用する意味とは。回数を増して平均化する証明は成り立たない?

 

大数の法則を競馬に応用する意味とは。回数を増加させ、平均化する証明は成り立たない?

競馬にデータはつきもの。大数の法則(確率)を使い、競馬のデータを平均化して回収率的中率わかりやすく味方につける話がある。

 

はて、大数の法則(確率)を競馬に取り入れて応用すると、馬券のデータは簡単に意味を持つのでしょうか。わかりやすくなるのでしょうか。

 

回数を増やすこと、平均化した数字は馬券を買っていい証明として信用して良いのでしょうか。私は成り立たない、成立しない、そういう立場にいる方が競馬、馬券などのギャンブルでは有利に立てると考えます。

 

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大数の法則と競馬のデータの関連性を見ていると……

大数の法則と競馬のデータの関連性を見ていると……

大数の法則と競馬のデータの関連性を見ていると、簡単に意味を持つ? なんらかの負けない法則を見つけられる? どうも疑問が走るのでした。不思議です。

 

期待値を数字で計算することはできるけれど馬券を攻略し切れるのか?

 

それは競馬の法則を見つけたことであっても、馬券で儲けること、勝つこととは別では?

 

カジノに関する本を読んで、大数の法則を競馬予想に使い、回数増やして成績・結果がわかりやすくなるのはほんのりまやかしではないかと。誤解と言いますか。嘘までは行かないにしても、イメージは違う。

 

大数の法則でいわれる、サイコロには……コインには……。

 

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大数の法則が登場するカジノ本

大数の法則が登場するカジノ本

カジノで一儲けした人たちの本はけっこう好きで読みます。

 

同じような生活をしたいとは考えないですけども(パスポート持ってないし)。

 

自分はJRAの中央競馬と、地方競馬で十分です。はい。複勝三連複をちょこちょこ買ってるので、ええ、十分です。

 

カジノに関する本を読んでて面白いなぁと感じるのは、大抵どの本にも「カジノで上手く行った証明」として、大数の法則がバンバン登場すること。

 

登場しなかった本ってなかった気がするくらいなもので。カジノは言うまでもなく、お金を賭けるギャンブルでありまして、確率というものはあるわけですが……。

 

大数の法則とは

「大数の法則」がわかれば、世の中のすべてがわかる!

さて、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、大数の法則とは……

「例えば「コイン投げ」、つまりゆがみも偏りもない"理想的なコイン"を投げて出る表裏を当てるゲームを行うとする。ここで、"理想的なコイン" とは「それを投げるとき、各回の試行において表が出る確率も裏が出る確率もともに 1/2 である」という確率モデルそのもののことである。このとき、コイン投げの試行回数を限りなく増やせば、表が出る回数と裏が出る回数の比率はどちらも 1/2 に近づく。実際にコイン投げをしたとき、(微視的に)一部分だけ見たときには出方が偏って見えることがあったとしても、全体として(巨視的に)見れば、試行結果というものは各事象の起きる確率によって支配されているのだ、ということもできる」

 

Wikipedia - 大数の法則 より

大数の法則の大前提、回数がデータの結果を保証するというヤツですね。

 

別の言い方をすると、確率を保証するとでも言えばいいでしょうか。

 

膨大な回数の結果をだーっと見ていくと、偏りが何度も続けていることがあるものの(コイン投げなら、裏ばかり10回連続。サイコロなら、6の目が10回連続。ルーレットなら赤が10回連続など)、平均していくと表の出る回数も、裏の出る回数も割合1/2になるという、そういう法則。

 

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「次どうなるか」には答えにくい。同じことを1000回なら答えやすい

「次どうなるか」には答えにくい。同じことを1000回なら答えやすい

嫌みな解釈をすると「次どうなるか」には答えにくいが、同じことを1000回やるのなら答えやすい(サンプル数が多ければ、その確率に答えやすい。なので競馬のデータで試行回数が少ないと根拠が薄いとされる。新種牡馬、新人騎手、来日外国人騎手など)。

 

コインを使う以外にも、大数の法則ではサイコロを使ったりします。

 

その確率収束例、競馬や馬券に当てはめて良いのか?

 

メリットではなくデメリットにならないか?

 

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競馬のデータに大数の法則を持ち込んでいいか、見方として条件をつけたほうがいいのか?

競馬のデータに大数の法則を持ち込んでいいか、見方として条件をつけたほうがいいのか?

カジノの本を読んでて、思ったのは有利な(あるいは、不利な)競馬のデータがあったとき、保証する概念は大数の法則ー回数の多いことーでいいのかと。

 

そのデータ(情報)から確率をそのまま使っていいものなのか。簡単にデータが意味を持つ、有用性を持つものなのか? 意義はあるのか?

 

前々から「競馬予想のデータに大数の法則を持ち込むのって、どこか変」って感じてたのです。

 

馬券を買う1レースに対応できる形のデータにならなければ、本来競馬予想のデータとして意味がないわけです。1000レースやればデータの確率通りになるではお金が足りない。時間もない。

 

もやもや考えてたのですが「そうか、競馬予想に大数の法則を持ち込むのってほんのりまやかしだわ」という結論を見つけました。

 

もどかしいですね、競馬予想に大数の法則を持ち込むのってほんのりまやかしという話、具体的に説明します。

 

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競馬に大数の法則を持ち込むとき成立してること

競馬に大数の法則を持ち込むとき成立してること

まず、大数の法則化するためにデータを蓄積してゆく際に関わる人と物、生き物の関係について考えてみます。成立してることの考察です。

 

コイン投げでも、サイコロでも、ポーカーでも、ルーレットでもバカラでもブラックジャックでも関係性は、

 

人間(賭けに参加する人)×コイン・トランプ・サイコロ=大数の法則

 

になります。

 

確率を保証する間柄です。

 

しかし、競馬のデータというのは違う。

 

人間(賭けに参加する人)×人間(騎手)+馬、である。

 

厳密に言うと、調教師や厩舎スタッフ、ゲートに入れるJRAの職員さん、馬主さんなど1レースの結果が出るのに関わる人は大勢います。

 

1つの事象の結果が出るのに手間、時間に大きな差があります。

 

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コイン投げ・サイコロ・ポーカーと、競馬のデータ収集の関係性は変わらない

コイン投げ・サイコロ・ポーカーと、競馬のデータ収集の関係性は変わらない

この、コイン投げ・サイコロ・ポーカーと、競馬のデータ収集から、大数の法則が導き出す関係性はどれだけ年月、レースやゲームを行っても変わることはありません。

 

定義づけしても良いことかと思います。何回行っても変わらないでしょう。

 

競馬において結果から情報を法則化するためにデータを蓄積することはもちろん、レースの結果があるのですから切り口はいくらでも、組み合わせはいくらでもあります。

 

組み合わせはいくらでもありますが、ポーカーと競馬、データを見る上で一緒に思えますでしょうか。

 

大数の法則の感覚を持ち込んで正しい結果が出るか?

大数の法則の感覚を持ち込んで正しい結果が出るか?

大数の法則の感覚を持ち込んで正しい結果が出るでしょうか。

 

自分には違うものに思えます。全くとまでは言い切れないですが、違うものとは言えます。なので、大数の法則を競馬予想のデータを持ち込むのはまやかしなのではないか。誤謬に近いのでしょう。いわゆるギャンブラーの誤謬の元。

 

よく、データの誤差の範囲内なんて言いますけど、その誤差はいざ馬券をかけるギャンブルに打って出る際にはとんでもない差、誤差なんて言ってられないところに行ってたなんてことも起こる。

 

大穴馬券はそうして生まれるのでしょう。

 

大数の法則はデータを蓄積してゆく「間隔の差」がポイント

大数の法則はデータを蓄積してゆく「間隔の差」がポイント

コイン投げやポーカーに使う、コインやトランプ、ルーレットには「体力」「気力」という概念はありません。

 

物ですから、消耗という概念はありますが、トランプの体力の回復を待ってポーカーをなんて言いません。

 

だから、短時間に回数をこなすことが可能です。

 

1日に何百、何千とゲームをカジノで行うことは言うまでもなく可能で、今この時間でも世界のどこかのカジノにてゲームは行われているでしょう。無限に行われてはいないものの、試行回数は相当なものです。

 

その上でのデータ集積もできる。コインやトランプの都合なんて考えなくていいのです。

 

競走馬は1事象のデータを取るのに必ず間隔が開く

競走馬は1事象のデータを取るのに必ず間隔が開く

ところが、競走馬はどうでしょうか。

 

一度、1600mなり2000mなり全力疾走した馬が3分後また走るということはありません。無限、大量なんて不可能。1回の経験に時間がかかると言うことです。そして、そのデータの検証にも時間はかかる。

 

レース前に馬場に入って騎手を振り落とし、それなりの距離を走った馬は競走除外となることもしばしば。

 

それは「体力」という概念があるからです。

 

レース前にたくさんの距離を走ってしまうと、公平な競走に支障を来すから、競走除外になるのです。言うまでもなく、データは取れません。データにおける経験も検証もない(別の面であるのだけどレースとしてはない)。

 

騎手も同様でしょう。体力を必要としています。数レースひっかかりっぱなしな馬に続けて騎乗したら腕の疲労度ははんぱないはずです。ズブイ馬を追いまくった場合も同様。

 

人間(賭けに参加する人・体力)×人間(騎手・体力)+馬(体力)……出走させるために関わる人たち

 

次のデータを蓄積するまでに「体力」を回復させる必要がある。データのひとひとつを蓄積するのにとにかく時間がかかる。

 

ゆえに、体力という概念がないものほど、薄いものほど大数の法則として精度が増すのではないだろうかというわけです(いろいろ調べれば面白い表が作れそうな話だな……)。

 

(※競輪はオートレースは競艇はってツッコミもありそうですけど、再度試行するまでに立て直す「体力的」な概念はあるでしょう。ただ、厳密に体力ではないにしろ……)

 

競馬のデータの有益性、無益性って、どうとらえればいいのか

競馬のデータの有益性、無益性って、どうとらえればいいのか

競馬のデータは大数の法則と相性が悪いが、悪すぎるわけではない。1事象のデータを収集するのにどうしても時間がかかってしまう。

 

だから、データに精査が必要な傾向があるものと考えるのがいいのではないでしょうか。

 

大数の法則、確率と言っても、データを積み重ねて行くのに間隔が開くものほど、誤差が出やすい。体力の概念がないものほど、誤差は出にくい。回数を増やせばデータが簡単に意味を持つわけではないのです。

 

下世話な言い方をすれば、大数の法則におんぶにだっこでは競馬予想において儲けられる近くまでは行くけど、儲けられ続けないということです。

 

体力の概念があるものは、データにノイズが入りやすい。であるからして、レース映像なり、パドックなり、調教なり他の要素で誤差を埋めないと競馬予想の有用性をがっちり掴めないようになってるということです。

 

この、埋める作業が楽しい……(予想のキモでしょう)。

 

以上、大数の法則を競馬に応用する意味とは。回数を増して平均化する証明は成り立たない?でした。

 

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