目次
- 努力は必ず報われる。努力は人を裏切らない。ことわざとして
- 義務ではないが努力の賜物感が大事・無駄な努力に気づけるか
- 努力は人を裏切らないから、努力は必ず報われるから?
- 努力の名言。ことわざにある行動をした結果は方向性が意味を決める
- 努力のことわざの意味を腑に落ちるように行動
- 努力は人を裏切らない。努力は必ず報われる。試行錯誤?
- 努力は人を裏切らない、努力は必ず報われると無駄な努力
- 知り合いの無駄な努力エピソード
- ほかにも、努力のことわざ、名言の意味はありまして
- 「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるの…
- 言葉の意味、ことわざ、名言が証明されたか問題
- 見返し努力アピールしてれば、勉強、仕事、恋愛はうまくいく?
- 無駄な努力でもアピールしないのは損?
- 努力アピール大好き、義務のように語るX君
- 自分のやっていること(=努力)報告をしてきます
- 人の話を聞くのは嫌いではないので聞きます
- 無駄な努力。方向性間違い、嘘に近づきます
- 名言、ことわざの意味、弊害
- 無駄な努力と思われても試練の道にいるから見てほしい?
- 努力アピールはうるさい、うざいと思わせたら終了
- 義務のような努力アピール、別の面でも、一辺倒
- ネタを仕込んで、バカになってくれよと。才能は工夫
- 「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」の本質
- 努力を認める側が5、認められたい側が95
- 男性は、正当な<努力に関する>意味や評価を受けて?
- 利用者の感覚からと努力アピールを見ると
- 努力は人を裏切らない。努力は必ず報われる・まとめ
努力は必ず報われる。努力は人を裏切らない。ことわざとして
努力は必ず報われる。努力は人を裏切らない……努力に関する言葉。名言にことわざ。
よく耳にする、2つの言葉。座右の銘な方もいるでしょう。名言と感じてる方もいるでしょう。
努力は必ず報われる。努力は人を裏切らない。
ことわざの意味をどのようにとらえると、才能に結びつくのでしょうか。義務ではないが努力の賜物感はあったほうが、努力は報われるし努力は人を裏切らない? 無駄な努力に気づくことが成功や成長に結びつくのでしょうか。努力をアピールするとも言います。努力した分の見返りが欲しいと思ってしまうこともあるでしょう。
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義務ではないが努力の賜物感が大事・無駄な努力に気づけるか
この記事のポイントは、
・努力は方向性の認識が鍵(義務ではないが、努力の賜物感大事)
・努力の方向性をちょくちょく確認できるようにしていることは大切。無駄な努力に気づけるようにしておく
・その無駄な努力に気づくのは、他の人の努力に目を向けることができる状態からだったりもする。
という話を書いていきます。
努力とは、うまくいくと予想される、うまくいく予兆が感じられると考えたものへ行動していく行為です。行動する以上少なからず、時間を賭けることになります。
努力は人を裏切らない。努力は必ず報われるのは、ことわざや名言と意味だと、そうだと予想できることがあり賭けたという物事に対して言われることです。
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努力は人を裏切らないから、努力は必ず報われるから?
仕事のためになるから、努力は人を裏切らないのでしょうか? お金のためになるから、努力は必ず報われるのでしょうか?
成功、成長の源が約束されてるから、努力の名言、努力のことわざの意味としてあるのでしょうか?
見返りたっぷりあることわざ? どんな予想でも当たって、努力が実ると?
努力は人を裏切らない方向性とは? 努力は必ず報われる方向性とは?
ことわざには「行動したときの意味(結果)」が書かれています。行動したときに約束されてること、予想が当たることと言ってもいい。
人間、行動をとったら承認は欲しいでしょう。
「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」と言うことわざで言いますと、
努力をした人は→結果として、裏切らない。
努力をした人は→結果として、必ず報われる。
行動したときの結果が約束されてますよと、ことわざは意味してるわけです。四字熟語でも名言でも格言でもそうでしょう。
なのですが……、そう、問屋さんは卸してくれない。自分に都合のいいものを仕入れさせてはくれない。
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努力の名言。ことわざにある行動をした結果は方向性が意味を決める
ことわざに書かれていることを行動しても、ことわざに書かれてる意味通りになるかと言うと、そうとは限らない。努力は必ず報われるにしても、努力は人を裏切らないにしても、ことわざの意味どおりにはならない。努力に関する名言にしても同様。
ことわざとして流通する間に言葉は平均化されていく、無駄に意味の通らない部分は削られて行く(重要な部分だったとしても、需要がないので消されてくこともあるはず)。その時その時に即して変化して行く。
もしくは「お客様は神様」のように、作者、言った人の意味とは逆の意味で使われたりする。自分も含め、自分の都合は通したいもので、努力は必ず報われる、努力は人を裏切らないと進んでしまいそうになる。
努力のことわざの意味を腑に落ちるように行動
努力のことわざの意味をそのまま文字面撫でてとらえるのではなく、自分の中で腑に落ちるように少し行動してみることが重要なのだと思います。努力の名言を自分なりに解釈して行動してみる。
他の人はどう言う意味合いでことわざや名言、格言を使っているのかを調べてみる。結論を急ぎすぎないほうがいいことわざもあるわけです。
人間、基本的に現状知ってきたことを使うことで物事を選択して行きます。理解にしても、行動にしても同じです。努力に関する名言やことわざ、言葉の意味も今まで知ってきたことを使うしかありません。ただいま、読んでいただいております文章の理解も同様でございます。
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努力は人を裏切らない。努力は必ず報われる。試行錯誤?
努力は人を裏切らない。努力は必ず報われる。と言うことわざに関しては、腑に落ちる行動とその方向性が意味を決めるでしょう。その人が自分に試行錯誤してもいいと受け止められるかにかかってるところはあります。
単純に言いますと、努力し続けて力がついて、もっと行動できるようになる実感のある方向性なのかと言うことです。努力していい感触を得られてるのかと。得られそうなのかと。
それゆえ、腑に落ちる努力が見つかるまで行動して見るのも手です(腑に落ちる方向性が見つかるまでの行動は努力と呼ばないのも手。裏切らない、報われるものを手にしてないという話です)。
人間、基本的に知っていることを使うことで選択する生き物なため、具合のいい方向性を知らずにいることはよくあります。ほんと、よくあります。
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努力は人を裏切らない、努力は必ず報われると無駄な努力
人間、承認欲求は厄介なもので、努力して行動したこと選択したことにうなづいてもらいたいもの。それゆえ、見返りアピールのしすぎでせっかくの努力が綺麗事になっていき、努力は人を裏切らない、努力は必ず報われるという言葉が嘘に近づいていったりする。無駄な努力へと変貌する。
そういう、努力の方向性を間違ってるエピソードはゴロゴロしてるものでしょう。それでは仕事の成長もしないし、成功も遠いだろうしと。努力は必ず報われる、努力は人を裏切らないからといって、それを見る側が義務ですごいと思わないといけないわけではありません。
努力を積み重ねて才能をつかんだ人たちは、ただ努力を続けたのではなく、ただアピールしたのではなく、意味のある工夫をして努力を継続していったからではないでしょうか。無駄な努力を見つけて改良していったのではないでしょうか。
ことわざの意味、名言、格言にべったりくっついて行動してたわけではないと思うのです。
知り合いの無駄な努力エピソード
知り合いの努力アピール、無駄な努力見返りアピールについてのエピソードを交えて「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」という、ことわざ名言の意味を考えてみたいと思います。
いかに、方向性を整えてないとき、ことわざの意味が嘘に近付くのかと。
努力アピールのしすぎで、方向性のよかった努力が綺麗事になって嘘になりヤサグレてしまうのはもったいないです。
才能は、工夫をして継続していくことが重要です。努力の方向性にはシビアになった方がいいです。無駄な努力を「無駄な努力だったな」と認識できるのはすんごい能力です。
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ほかにも、努力のことわざ、名言の意味はありまして
「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」。努力の名言、ことわざの意味はあれこれありまして、「努力していれば、夢は叶う」、「努力に勝る天才はなし」、などなど……。
努力に関する格言名言、ことわざに四字熟語のようなものはたくさんあります。ことわざにまつわるエピソードもたくさんあるでしょう。
誰の言葉なのか、言った人、作者は誰かよくわからないものもあります。
才能(天才)に関する言葉として響く。目標だったり、成功、成長だったり。チャレンジだったり。嘘なんじゃ? という言葉もあります。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるの…
プロ野球選手、王貞治さんがおっしゃった「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」という言葉もあります。
「努力は必ず報われる」「努力は人を裏切らない」。
このことわざたちにあまり語られていない意味はあるのだろうか……。しょせん、成功者の戯言、綺麗事なのだろうか。格言として、都合良くネタにされているだけであろうか……。たいていは嘘なのか。
うまくことわざの意味通りに行くとは限らない。けど方向性がハマればことわざの意味に近づく?
言葉の意味、ことわざ、名言が証明されたか問題
「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」という言葉を嫌いな人もたくさんいます(言葉の意味がなかなか証明されないから嫌いなのかと)。
一方で、「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」を座右の銘にしている人もいます(言葉の意味が証明されたことがあるから。なんらかの形で才能化できたから)。
経験の差といえばそれまでですが……。
ただ「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」という言葉の感覚を証明されたことがはっきりとないものの、証明された人たちをみてて私もという人もいて……。
追いかけて、追いかけて、アピールして。方向性を見てあげた方がことわざの意味に近づくと思うんだけども。
見返し努力アピールしてれば、勉強、仕事、恋愛はうまくいく?
さて、「裏切らない」「報われる」という言葉を自分の都合に合わせていれば、ことわさの意味合い通りになるのでしょうか? 努力をアピールして見返り指差していればいいでしょうか。
そのサイクルで生活してうまくいくものでしょうか。才能が花開くでしょうか。成功は? 成長は? うざいと思われずに行くためにはどうすればいいものでしょうか。
綺麗事となり、やっぱり嘘じゃないかと愚痴らないためには……。間違いに気づくのが遅くならないためには?
無駄な努力でもアピールしないのは損?
努力というものは「誰かにアピールするもの」なのでしょうか?
努力は人を裏切らないから、努力は必ず報われるから見返りのポーズをしないと損なのでしょうか。無駄な努力と思われてもする必要があるのでしょうか。
そして「努力を理解してもらわないといけないもの」なのでしょうか?
それとも、努力っていうものは「才能を誰かに見つけてもらうもの」なのでしょうか?
はたまた……?
「努力が報われるって?」 「努力が裏切らないって?」
努力アピール大好き、義務のように語るX君
知り合いに、Xという奴がいます。彼のエピソードを。まるで義務のように、努力は必ず報われる、努力は人を裏切らないと信じ込んで、批評性なく語りかけてくるヤツがいます。
自分(35)と年が近い男で、もう、かれこれ20年くらいのつきあいですか。同級生だったわけではなく、ちょいとしたきっかけで知り合った奴です。
性格はですね……、暗いっ!
彼とたまーにお茶をします。コーヒーだ、サンドイッチだなんて、注文して、軽く水なんて飲んでると、彼の口が開く。
「今、俺さ、これをして、あれをして……。そんなことをして……」
自分のやっていること(=努力)報告をしてきます
私は何も質問をしていないのにです。努力アピール三昧も三昧。努力は人を裏切らないって初めに言った人、代わりに聞いてくれ。
「最近どう?」とも、訊いてない。「髪、切った?」とか、「そのシャツ、いいじゃん」とか、「もうすぐ消費税あがるんだよなぁ」とか、世間話もしていない。
X「俺さ、この前言ったやつ、ずっとやってるから……」
私「あ、あ……、そう……」
こっちのイライラを読む気もなく、Xは元気に畳み掛けてくる。
こういうとき、なにかネタが仕込まれてるのなら別なんです。私の興味あることを包めて話すならば、方向性としてなお良しなんだけど。
しかし、それはない。
人の話を聞くのは嫌いではないので聞きます
もっと早く言えば良かったのですが、何時間も話しを一方的に聞いてあげてたのが無駄な努力だったことに気づけばよかったのですが、去年のある日、そういうのが嫌になりまして、
「自分のことは訊かれてから言えよ、馬鹿! 俺のことも訊けよ、馬鹿!」
と、キレまして、さよなら。……なんてことがありました。
うざいとまではいいませんけど……。いや、努力の見返りアピールうざい。見返り美人とお茶したいわ(なんのこっちゃい)。自分が今これこれしていることの話しを一方的に話されるのはしんどかったですね。うん、こいつの努力してきてることを聞いてあげれば、少しは現状変わるかもと思ったのは、無駄な努力でした。
私のほうも何か策はなかったのかよ、というところでありますが……。話を聞いてあげることの方向性を間違ってましたね。
無駄な努力。方向性間違い、嘘に近づきます
質問もされていないのに、義務のように努力アピールしてしまう行為(俺は、私はこんなことをしているんだ! という話)、これって、とてつもなく、
「損」
です。無駄な努力です。
質問されたとか、訊かれたのであれば、いいんですよ。
話の方向性も間違いにはならないし、努力は必ず報われるから、努力は人を裏切らないからの流れではないのですから。言葉の嘘は近づかない。
大げさに言えば、相手の欲していることへの返事になりますから(例えば、検索をして→答えを得た、というのと近しい)。
だ、け、ど、たいていの努力アピールというのは、
「俺、もしくは私の努力を認めろよ」
一辺倒です。oh…見返り旋風。
理解されていることで次の努力へ踏み出せるという理屈はたいへん理解するのですが……。
受け手としてネタが仕込まれていないものは、うざい感情と仲が良くなります。どうしても……。
名言、ことわざの意味、弊害
努力は必ず報われるの弊害とでもいいましょうか。努力は人を裏切らないの弊害とでもいいましょうか。
どんな努力にせよ「報われない」といけないものと思い込んでいる人を相手するのは、しんどいです。度が増せば、うざいという感情はさっさと芽生えます。
競馬予想を日々してますと、馬券術・競馬予想方法や、競走馬の解釈などたくさん読んだり、YouTubeで見たりします。こうするとうまくいく! こうすると裏切られないですよ! と予想されている。努力は必ず報われる、努力は人を裏切らないのであれば、日々見たり読んだりしている競馬予想や馬券術はうまく行きまくってるはずです。
でもそうならない。それが賭け事であり、ギャンブルだからと申されたい方もおられるでしょうけど、努力は必ず報われると「予想して行動している」のであり、努力は人を裏切らないと「予想して行動している」。このことと、競馬予想はそんなに変わる物事ではありません。むしろかなり近しい物事です。
予想したことがなるべく他人より5%でも10%でも当たるような努力ができるかが大切で、義務のように報告して無駄な努力と思われることは大切ではありません。
無駄な努力と思われても試練の道にいるから見てほしい?
確かに、承認があると努力のしがいがあるのは事実です。ホッとしますし、やる気も出ます。
しかし、義務のような努力アピールの連続は、受け手からすれば「シランの道」にも見えたりしまして。
もう、努力アピールは切羽詰まっていればいるほど、一辺倒です。無駄な努力に見えてしまう。
努力アピールするにしても、おもしろくアピールすればまだいいのにと、思うんです(ようするに、相手にとって「使える部分」を作るってことです。ボケるってことですね、アイデアというものですね。すわなち、ネタにするという方向性。違う言い方すれば、工夫された才能)。
そうすれば「その努力、ミルワの道」にもなったりするわけで。工夫ひとつでございます。
ことわざの意味もうまいこと使いましょうというわけですが、それをすることが意味を持つと自身が腑に落ちてないと駄目なことであります。
努力アピールはうるさい、うざいと思わせたら終了
努力アピール一辺倒な人の、受け入れてもらえる率が低くなるのは、当然です。
受け手にとって、ギャグにならないからです。ボケにもならないからです。努力は必ず報われる方向にはいかないし、努力は人を裏切らない方向にもいきません。
「努力認めろよー」一辺倒なことに価値があることは稀です。
そんな四字熟語ありますか? ことわざありますか?
努力アピールというのは、聞く相手、読む相手にとっては使いようのない負荷になる特徴を持つということです。見返りを求めてるところには負荷がかかります。
努力アピールするなら、バカになれと……いう……。
義務のような努力アピール、別の面でも、一辺倒
義務のように努力アピールする人というのは「認めてほしい」こと以外においても一辺倒になって、損を増します。
それは、
「俺、もしくは私のすること全て認めて欲しい。が、他人のことは極力認めないぞ。なぜなら、自分のことを認めてくれないからだ」
というサイクルです。努力を認めてくれるのが先になる、義務の逆転です。無駄さに拍車がかかります。
ネタを仕込んで、バカになってくれよと。才能は工夫
努力は人を裏切らないから認めてくれーという方向性は、受け手からすると、なに言ってやがんだ、コノヤロって感じになりやすい。
努力アピールするなら、ネタを仕込んで、バカになってくれよと。使い所をくれよと。
努力アピールをする方法なんぞを磨くより、相手のことを見ようという気持ちのほうが大切では? ことわざの意味の水の通りが良くなるのでは? 成功、成長に近づくのでは?
「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」の本質
努力は人を裏切らない。努力は必ず報われる。この言葉の意味、本質はどういうものなのでしょうか。綺麗事にならず、嘘にも近づかず、うざいともうるさいとも言われない方向性。
それは、
1つ認めてほしいことがあったら、先に他人のことを5も10も認めていくということです。
そうすることで、努力した1つの認めて欲しいものを見てもらえるようになる可能性が増す。
そのサイクルの中で自分の努力が報われることもある。だから、努力に即効性ってあまりないんです。時間はかかります。努力の方向性が間違ってることにも気付きやすくなります。
他人のふり見てなんとやらです。
と、言いますのも、認める側と認められる側の需要と供給がとてつもなくいびつになってるんじゃないかと思うのです。
努力を認める側が5、認められたい側が95
なので、1つの認めてもらいたいことと、他人を認めるひとつの行為というのは、イコールでは結ばれない。
(努力すればするほど……、報われてないパーセンテージは……)
イコールできっちり結ばれてたら、それはそれは平和です。
努力は人を裏切らないがどうの、努力は必ず報われるがどうのなんでブログに書いてません。平和なんですもの。
男性は、正当な<努力に関する>意味や評価を受けて?
自分のことの努力より相手の努力を認めた方がいいという話を書くと、提灯持ちしろとか、へりくだれとか、やたらめったら「いいね!」をボタンを押す、ってことかって話になりそうだけど、じゃない。
違う、違うそうじゃない。そういう意味じゃない。
「(控えめに言って)世の八〇%の男たちは自分には才能があり、かつそれが世間からは正当な評価を受けていないことにフラストレーションを抱いている」
内田樹「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(文藝春秋)より。
うまくいくからくりあれば、うまくいかぬからくりあり。
人を裏切らない方向性、報われる方向性はあるはずです。
うまくいかないからくりというのは、努力アピール一辺倒のこと。このからくりを言い換えると、ツッコミ一辺倒といってもいいでしょう。
「俺の努力認めろー、認めろー」って、他人に突っ込んでてもしょうがない。
だって、誰もボケてませんから。方向性が悪い。
とてつもなく努力してても、努力アピールしている限り、人が裏切ってゆきます。そう、努力してても報われない方向に進むわけですね。
継続していること、習慣になってることは良いほうにも悪いほうにも転ぶ。努力アピールもうまくやらないと、それになる。ことわざの意味から遠ざかる。
ということは、努力が報われるということは……?
利用者の感覚からと努力アピールを見ると
「努力は必ず報われる」「努力は人を裏切らない」というのを受け手から見ると変わるものです。努力アピール(報われたいアピール)をしたところで、相手には負荷にしかならない。努力を裏切るほうに行く。
「マルクスは、コラムも書いていた。その点ではぼくも同業者なのでよくわかるのだが、作者がどれだけ苦労して資料を集め、どれだけ苦心して原稿を書いたなんてことは、消費者である読者からみるとまったくどうでもいいことである。大切なのは、たまたまでも偶然でもいいからとにかくいいアイディアを思いつき、そのアイディアを気のきいたレトリックでどれほどうまいことセンス良くまとめあげたか。そこが勝負である」
努力アピールしたところで、消費者からすれば「どーでもいいこと」「だから、何?」「それがどうした?」ということになるのが実際のところなのです。努力の方向性を間違ったところで唸ってても、そこから需要が満たされるとは想像できないのです。
あの人、よく努力アピールするけど……。ぜんぜん使えないから、罵倒するしかないって、ね……。
反応があればまだいいかもしれません。
「努力それ自体は決して悪いことではない。しかし努力すれば必ずできると思い込むのは、間違いなのである。努力してもできない人がいるし、努力しなくてもできる人もいる。こっち方面で努力してできないのだったら、あっち方面に行けばいいのだと、柔軟に考えられるようになれば一番いいのではないか」
森毅「ええかげん社交術」より。
努力は人を裏切らない。努力は必ず報われる・まとめ
森毅さんも書かれておられますが、努力するっていうこと、これにはなんら問題がないと思います。努力は人を裏切らないという言葉も、ことわざも名言もいいのです。努力は必ず報われるという意味もいいのです。ただ、それだけに邁進するのは違うのです。
しかし「もしかして、必要のない努力してない? 無駄な努力してない?」っていう、感覚はあったほうがいい。この努力は報われないほうにいってないか? という感覚。努力の方向性を確認できる状態、メンタルを作っておく。
そのために、相手のしている努力を発見していくことが大切になります。自分の努力の方向性が間違っていないのかの確認のためにです。
人の振り見て我が振り直せ、とは言ったもので。
それは、工夫する部分ともいえるでしょう。そこを継続していけば……。綺麗事になって、言葉は嘘に近づいていかなくなっていく。仕事で成功することもあるでしょうし、成長することもあるでしょう。
そして努力アピールはたいてい、相手にとって負荷
努力をわかってもらえない自分という感覚は理解しますが、その理由というのもあるもんなんですね。
努力の量は、利用する人にとって意味を持たない(それを訴えて、利用してもらっても余韻が短いので、再度利用してもらえる確率が低くなる。方向性の間違いにより気づかなくなる可能性が増す)。
それよりも、相手の努力の痕跡を見つけたほうがいい(報われたいと考えていることを探したほうがいい)。そっちの才能を工夫してみつけたほうがいい。
言葉・ことわざの意味にある順番
「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」というのは、自分のしている努力をもって裏切らない、報われるというよりも、誰かの努力を見つけようとすることによって、自分の努力が裏切らなくなる可能性が増すというからくりのことでしょう(割に合わない努力に気付いたりすることもあるでしょうし、自信がついたりすることもある)。
言葉、ことわざの意味として行動が「嘘」ではないこともある。
しかし、言葉も使い方、考え方、工夫の継続、アピールひとつで「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」の水の流れも変わってしまうもの。
水の流れというのは、(自分においての)言葉の意味です。行動したときに腑に落ちる感覚を知るのは大切ということ。
つまり、言葉の文字面が決まりごとそのものではない。
ことわざの意味に裏切るように努力していれば、本人は裏切らないと思ってても裏切るほうに水は流れて行く。
うまくいかないほうに流れて行く。
方向性の確認は他の人の努力を見ることが大切です。
一方的に努力してるぞとアピールしても
であるからして、一番なのは、自分の努力を努力と思わなくなることでしょう。認めて欲しい、報われたいとなるべく思わなくなることでしょう。才能の作られ方のひとつでもありましょう。
努力の方向性が腑に落ちてると、努力を努力と思わなくなると思います。
なかなかできることではありませんが……。
(努力アピールの感覚とは逆に、……「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」という言葉、ことわざを、うまく行った人、才能、運があった人、生まれつきよかったんだよ、しょせん成功者の結果論、綺麗事だよとだけ見るのもこれまた違うんですな……。あと、天才はどうのこうの……というのも。意外と才能のあるひとは工夫して、それを継続してます。それを人に見せないだけ……。なので、見つけるようにしていったほうが……)
以上、努力は必ず報われる。努力は人を裏切らない。ことわざ、名言の意味とは。義務ではないが努力の賜物感は大事。無駄な努力を気にするという話でした。