競馬はあくまでも競馬「予想」。なので、詐欺の手口っぽく、詐欺の手段っぽく、そして嘘っぽく見える物事に遭遇したりします。
競馬予想が詐欺の手口っぽく、詐欺の手段っぽくどうして見えるのでしょう?
一つの答えとして、競馬予想した人が馬に乗らないから、競馬予想が詐欺の手口っぽく、詐欺の手段っぽく、嘘っぽく見えるのではないかと。
競馬予想した人が競走馬に乗るのであれば、関わる度数が上がるわけで嘘っぽさは薄まります。詐欺っぽい手口、詐欺っぽい手段が見えれば、レース映像で四方八方録画されてますから、文句も言いやすい。指摘もしやすい。馬が走ることに直接的関与ですからね。
しかし、競馬予想でそんなことにはなりません。予想した人が馬に乗ることはありません。一定の嘘っぽさ、胡散臭さは残ります。
競馬予想して、馬券を的中させるための考え方と手順の、最低限。競馬に関わる人がいて、競馬が行われる中で予想が成り立つという話を。
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競馬まとめ【競馬予想・馬券の買い方・確率の上げ方など、記事数豊富】
「競馬予想方法のまとめ」「競馬のやり方のまとめ」「馬券に関わるまとめ」「競馬の確率を上げるまとめ」などなど。「競馬データを細かく見てしまう人のまとめ」です。「競馬のデータを大きな数字の偏りだけで見ていない人のまとめ」と言った方がいいかもしれません。競馬の1事象、1事象見てまとめる感覚です。「マニアックなまとめ」になってます。
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目次
詐欺の手口、詐欺の手段のように見せてしまう、競馬予想・馬券予想
競馬、詐欺の手口っぽくない? 手段として数字が詐欺っぽいな。水増ししてない?
競馬予想というのは、どこか「嘘っぽい」「胡散臭い」「詐欺臭さ」がつきまといます。ブログに予想を書いてて、こういうことを書かないほうがいいんでしょうけど、ふと「なんでだろう」と思ってしまいまして。
つまりますところ、競馬を毛嫌いする方々の生理的根源と言いますか「こういうことが解消されないから嫌なんだ」ということってなんだろうかと。競馬予想の嘘っぽさ。競馬予想の胡散臭さ。その原因の一端でもわかれば、なにがしかの対処はできましょう。改善は無理だとしても。
そんなことを思ったきっかけは、やたら「メソッド、メソッド」と書かれているブログを読んでまして……。この、メソッドというのは「あることをうまくいく方法」だったり「あることがうまくいくからくり」であります。
教育、教えるというものをそれなりの形に落とし込んだもの。
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メソッドと競馬予想法と、詐欺っぽい手口、手段と
詐欺の手口や詐欺の手段というのは文字通り、相手をだます仕組みでございます。競馬がうまく当たるよと、言葉たくみにだます。
なんのメソッドでもいいのですけど、あるひとつのメソッドがある。
ダイエットでも、英語でも、あくびの粋なやり方でもなんでもいい。指導してもらったり、本読んだり、DVDを見て学べば「その人ができるようになる可能性のある」ものがある(必ずできるようになるというのは勘違いですけど)。
また別に、ある競馬予想法があるとする。これは、血統でもラップでも、調教、指数なんでもいいのですが、あるとする。
最初、メソッドも競馬予想法も「同じものじゃん」と考えたのです。「こうすれば上手く行く」ということなのですから。しかし、これ、違うものですね。
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どのくらい関わり合いがあるのか? メソッド、競馬予想法、詐欺の手口、手順
メソッドは、本人に伝わって完結してるものです。本人がメソッドを受けて、行動して完結する。できるできない、向き不向きはあるとしても、本人次第な面があります。
メソッドを知った人が今まで知って来たことと、メソッドをどう組み合わせて行動できるかに成功の確率が潜んでいる。アイデア見たいなものです。
しかし、競馬予想法というのは、そうではありません。ここに詐欺の手口が手口になり、詐欺の手段が手段として巧妙さを増す。自己責任なんて口触りの良い言葉を使ったりして。
どんな競馬予想法を知ったとしても、知った人が馬に乗ることは絶対ないのです。レースで走る、該当する競走馬に騎乗することはない。競馬予想というのは「誰かに託すもの」なのです。誰かに行動を託す前提において「うまくやる方法」なのです。
例えるならば、野球の監督です。
そこに、競馬予想の嘘っぽさ、胡散臭さ、詐欺臭さの根源があるんじゃないでしょうか?
競馬予想を考える上で、馬券を的中していく上での考え方・手順の最低限にあるといってもいい話。
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競馬予想して、レースに参加。詐欺の手口や手段っぽくなくなる?
競馬のレースに参加できれば、詐欺の手口や手段っぽくなくなるんだなと思った話。
そこで思い出したのは、もういつだったか忘れましたけど、島田紳助と松本人志がトークする番組で、株がどうの、投資がどうのと話していたときのことです。株や投資と来て、島田紳助さんは競馬好きでらっしゃいましたから、話の流れで、
島田「競馬とかやらないんでしょ?」
と、訊く。
松本「やらないですねぇ」
島田「ギャンブル嫌い?」
松本「いや、買った馬に好きなようにムチ入れられるんなら……」
松本さんの話を聞いて、ああ、そうかそうかと思いました。
競馬予想の嘘っぽさ、詐欺の手口っぽさ、手段っぽさを払拭するならば、馬券買った人間がバッチリ直接的にレースに参加できるかどうかで解決するしかないのか! それはできぬ!
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競馬に直接参加したら、詐欺の手口だの詐欺の手段って言いづらい
競馬に直接参加していたら、詐欺の手口だの詐欺の手段と言いにくくさせるんだなと
競馬予想のメソッドブログを読んでて、これを、思い出しまして。細かいところは違ってると思いますけど、ダウンタウンの松本さんそんなことおっしゃってました。
自分が手綱握れるかどうかがポイントなのか。ムチを入れられるかが大事なのか。そうかそうか。そういうものでないと賭けるのはちょっととなるわけか……。直接参加できるかどうか……か……。
実際に勝敗を決めるレースにおいて自分が関わって、結果が出ればそこに文句は言いづらいです。詐欺の手口や詐欺の手段があったとしても。競馬予想はどこまで行っても、そうじゃないから、モヤモヤとした感じが残る。
松本さんの発言、競馬予想にまとわりつく嘘くささ、胡散臭さ、詐欺くささの原因がみつかった気分になりましたね(もちろん、原因の全部じゃないですけど)。
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競馬予想で馬券を的中させるための最低限の考え方と手順
どうあがいても、競馬予想する側は直接馬に乗ることはできません。馬主であれば指示は可能でしょう。
しかし、自分の意思でどうなるものでもありません。残念ながら、松本さんの望みは叶えられませんけど……、予想する側は馬を見ることはある程度可能でしょう。予想を馬券をお金を託すものを見ることはできる。
競馬予想で胡散臭さ、嘘っぽさ、詐欺臭さを生んでしまうもうひとつの要因は、予想している側が「良く見てない」というところにあるのではないかと頭をよぎった……のです。
ターゲットで見つけたデータで終わるのではなく……。
もっと細かくレース映像見て精査すればいいと思うんだけど、ちょっといい数字が出てたら、それを取り上げてしまう……。精査する定規を日頃から仕入れようとしない……。時間との戦いっていうのはあるんですけども……。
データ上そうなってるから、儲かるではなくって、もう一歩二歩メカニズムに迫る感覚ですね、これが欲しいんですよ。ここまでやってくれる人って、ほんっっっっと少ないんです。
自分が決して手綱を握れない分、よく見るということが競馬の胡散臭さを消しはしないだろうか……。競馬予想の詐欺の手口や詐欺の手段に騙されないことに繋がらないだろうか。
えっ? そんな七面倒なことはどうでもいいって?
あっ……。そうですか……。
それは失礼しました。
以上、競馬が詐欺の手口、手段っぽく見えるのは【予想した人が馬に乗らないから?馬券を的中させるための考え方と手順の、最低限】という話でした。