お笑いネタ

泣ける歌に映画、邦画に洋画。アニメにマンガに、感動いい話。悪いわけではないけど、違和感

泣ける歌に映画、邦画に洋画。アニメにマンガに、感動いい話。悪いわけではないけど、違和感

 

泣ける歌に映画、邦画に洋画。アニメに漫画にいい話

泣ける歌に泣ける映画、泣けるアニメに泣ける漫画、泣けるいい話…。嗚呼、感動、感動。いつから、泣けるアニメだ、泣ける漫画だと言われるようになったのか……。

 

泣けると言われる歌や映画、アニメに漫画が悪いわけではないし、嫌いでもないけど、キリがない泣き過剰にはなんだかなと思う。感動過剰。笑いより泣くほうが把握しやすいからかそうなるのか。泣ける状態にしないと売れないのか。

 

映画でも音楽でも、アニメに漫画でも、表現をおすすめする言葉として泣けるとくっつける。その選択は間違ってはないんだろうけど、泣ける過剰になると……。

 

そこで思い出す、笑いに関する柳家小三治さんと、井上陽水さんの言葉。

 

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泣ける、泣けると、過剰な演出に「なんだかな」。歌でも、映画でも

映画を見たり、歌を聴いたり、漫画を読んだりしてて、ちょろっと「泣き」を訴えかけられる、そんなシーンを見るのはなんともない。これが、泣ける、泣ける泣けると、どんどこどんどこ過剰に「ナキナキ」光線を浴びせかけられると、

 

「なんだかなぁ〜」

 

と、言ってしまうことがあります。

 

泣ける歌、泣ける映画。アニメに漫画、泣けるいい話……。ほんと、増えました、泣けるなになにと表現をおすすめするのに組み合わせる言葉。

 

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泣ける歌も、泣ける映画もいいけど、涙腺を恐喝せんでもと

先日もテレビを見てましたら、そんな泣ける歌だろ、泣ける映画だろとプッシュプッシュなシーンに出会いまして。「泣き」「泣きの」……。涙腺をムリクリ刺激します演出と言えばいいでしょうか。「泣けるだろ?」と、涙腺恐喝とでも言えばいいでしょうか。

 

ワタクシ、んーっと思いました。

 

過剰に泣ける歌だ、泣ける漫画だと来られると「泣くもんかよっ」となる。抵抗しちゃうんです。けっこう頑なですよ、そういうの。泣けるだろ恐喝には負けへんで、となる。

 

泣けるにしても、もっとふわっと来られないものでしょうか。ソフトタッチな泣ける感すわ(なんのこっちゃい)。

 

過剰さより、間の取り方でどうにかしてほしいって思います。

 

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泣きの過剰、泣けるの過剰、笑いの過剰はこわい。歌も映画も、邦画も洋画も

柳家小三治の落語〈1〉 (小学館文庫)

泣ける映画だろ、泣ける歌だろ、泣ける漫画だろと、過剰になる怖さがあると思った話。

 

噺家、柳家小三治さんが、NHKプロフェッショナル仕事の流儀に出演された際、

 

「笑わせよう、笑わせようと言う気持ちでいると、それがどんどん過剰になってゆく」

 

とおっしゃってました。

 

この「笑い」を「泣き」に変えて当てはめてみますと、どうでしょうか……。

 

泣けるだろ泣けるだろと、泣かせよう、泣かせようと言う気持ちでいると、それがどんどん過剰になってゆかないだろうか。

 

「泣き、泣き、泣き」が「泣け、泣け、泣け」になってはいかないか。冗談で涙腺恐喝と書いたけども、何割かは当たっているはず。

 

はて、その先はどうなるだろうか? 過剰さの先には何があるのか?

 

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泣ける映画で流した涙は見える。泣ける歌で流した涙は見えるから、過剰になる?

泣くとき「涙」は「水分」として見える。泣ける映画で流した涙は見える。泣ける歌で泣いた涙は見える。

 

涙を拭く。涙が見えるということは表現から泣かせたことが形として見えるとも言える。下世話な言い方をすれば、評価として見えやすい。しかし、笑いは表情や声なので、形として見えない。音はあるものの、見えない。声の音量を測ることは可能ではあるものの、見えるものではない。

 

だから、泣ける映画だ、泣ける歌だと追いかけたほうが多くの人に評価として見せやすいのか。

 

形として見えにくいものだから、笑わせようと笑わせようと過剰になっていってしまうのか……。理解してもらうのに水の通りがいいものを選んでしまうものだけども。

 

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笑いは羞恥心の捨て具合がポイント

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「お天気ですか〜ぁ」(違うだろ)。

 

続いては、井上陽水さんの話。

 

あるテレビ番組に出演されたときだったと思います。こんなことをおっしゃってました。

 

「人を感動させたり、泣かせたりすることよりも、笑わせることのほうが素晴らしい」

陽水さんの話、ほんとにそうだなと思うのです。

 

と、いいますのは、泣かせることよりも笑わせることのほうが羞恥心を捨ててるからです。泣かせることにはそこまで羞恥心を捨てる必要はありませんが、笑わせることには羞恥心の崩壊がいるのです(特にボケるほうは)。

 

井上陽水さんの言葉は、そんなところをとらえてのものじゃないかなと。

 

泣かす側でなく、泣いてる側にはささやかな羞恥心がありますが……。

 

羞恥心を捨てるのって、簡単じゃないです。

 

ただ、うまいこと滑稽に羞恥心を捨てられると笑いに繋がる。女性芸人が少ないのはこの羞恥心問題がからんでるんじゃないかって話がありますけど、あながち間違ってない話でしょう。

 

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泣かせること、泣ける曲や映画が簡単だとは申しません

もちろん、泣ける話が簡単とは言いません。泣ける映画が簡単とは言いません。

 

しかし、笑わせ一辺倒の人が泣かせ側に回ることは可能でも、泣かせ一辺倒の人が笑わせる側に回るのは困難でしょう(羞恥心捨てないといけませんから)。

 

それをわかった上で過剰に「泣き」を演出しているのかどうかはあるのです。泣ける話は涙として把握しやすいから、泣ける泣けるとおすすめしまくるのは妙な話です。後につながらないんですね。その場限りの泣ける歌。

 

そこはとっても気になります。

 

ということはですよ、……笑い泣きってすっんごいわけでありまして。笑った上で涙がこぼれるわけです。

 

泣き一辺倒な表現者にも笑い泣きなところ狙ってほしいものです。

 

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以上、泣ける歌に映画、邦画に洋画。アニメにマンガに、感動いい話。悪いわけではないけど、違和感という話でした。

 

 

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