「同じレースを10回やって7回8回馬券内と予想するから」の違和感
よく、テレビ(グリーンチャンネルだったり、民放の競馬中継だったり)やラジオ(ラジオNIKKEIだったり)の競馬中継で「同じレースを10回やって、7回か8回かの確率で馬券になると予想するので……」と仰る解説者や競馬新聞のトラックマンがいます。
このセリフ、理屈はよくわかります。
かなりの確率高く3着は外さないと予想するから自信もあると。予想の裏付け、馬券を買う裏付け。ぐりぐりの二重丸とまではいかないにしても、視聴者の方々にも自信を持って馬券買ってもらいたい現れなのでしょう。
なのですが、自分はどうもこのセリフに違和感があります。
競馬の本命党穴党。意味ある買い方は精神的に偏らない。本命対抗大穴記号
競馬予想の馬券収支ノート発掘。初心者の頃、書き方作り方簡単に買い方記録【最初の万馬券】
だって、同じレース10回できないじゃないか
まーった、たけたけっは重箱の角を突きまくってな話に思われる方もいるでしょうけど、この「同じレースを10回やって」というのは机上の空論も机上の空論です。際立った机上の空論。
レースは1回しかできないんです。
これは、競馬の歴史、日本だけでなく海外や草競馬と言われてるものまで含めて、レースは1回しかできない。同じ競走馬、騎手、枠順、競馬場、コース、馬場状態まで同じだったとしても、前回と今回は別物。同じレースは存在してない(次のレースまでに競走馬も騎手も関係者も少なからず歳を重ねるわけで、全く同じにすることは不可能)。
それは鉄板も鉄板、絶対も絶対、確実も確実なのですが、ものの例えとして「同じレースを10回やって」と専門家がおっしゃられる。
できないことー意味は理解できるとしてもーを言う。これ、競馬初めて馬券買って10年超えますけど、いつも変だなぁと違和感しかないんです。
野球で同じこと言えますか? テニスでは? 陸上では?
ラーメンやパスタを料理するのを似たように考えても同じこと言うのは変です。
今作ったラーメンと5分後に作ったラーメンは「ラーメンという意味」では同じだけど、全く瓜二つとは言い切れない(言い切らないと商売にならない面には目配せするとしても)。
……自分も3回くらい書いたり言ってたりする気もしてるので語気を弱めますが。
競馬予想。馬券の当たる確率を上げる方法とコツ。数字の計算、人気、オッズ、データ
競馬ガチャガチャ。JRAレースファンファーレ。作曲者豪華、おすすめ。関東は東京、中山。関西は阪神、京都
「同じパターンに該当する馬が別々に10頭いて、7頭8頭は馬券内」だからは納得
自分の中にあるのは「同じパターンに該当する馬が別々に10頭いて、それぞれレースを行って7頭か8頭は馬券内になると予想するから買い」です。
この言い方ですと、これから行われるレースとそのパターンがどのくらいの幅で該当しているのか振れ幅が存在しますが、現実的です(生きてるってことですな。みつを)。
実際にありえないシチュエーション頼りにするより、振れ幅あっても実際にあるシチュエーションの方が馬券の当たる確率は増します(だって、あるんだもん)。
実際にありえないことを物差しにすることで、実際にありえない評価をして馬券外すことって結構あるはず。それが当たったりするとより強化学習されて、厚く張ったときに飛ぶ。イスタンブールまでは飛ばないだろうけど、飛ぶ。
実際にある振れ幅を抱えて見てる方がバランス感覚がよくなりやすい。
よく、競馬予想のデータに件数を求めて信憑性の担保する方がいらっしゃいますけど、その確かさからすれば「同じレースを10回やって7回8回馬券内と予想するから」という言葉のどこに信憑性があるのか。
ままっ……このセリフ、使い勝手がいいし耳に馴染みやすいので未来永劫、言い続けられると思いますが(毒)。
以上、「同じレースを10回やって7回8回馬券内と予想するから」の違和感という話でした。
おすすめ競馬本(アマゾンへ) |
【競馬ネタ】おすすめ記事
競馬で負ける負けすぎる。負けない買い方から卒業には準備が必要
競馬の資金配分。破産確率について学ぶ。『馬券裁判/卍著』感想。
競馬の穴馬とは。予想に馬券に見つけ方の法則。共通点激走パターンかきわけて
競馬の総流し。ワイド馬連馬単三連複三連単。買い方を禁じ手にする意味
未勝利戦の競馬予想。2歳3歳。コツを角居調教師の連載から考えた
競馬が当たらない理由。予想の馬券の知識情報データ知れば知るほど
競馬新馬戦。荒れるレースの見極め、条件コースを角居調教師の話から考察
競馬で100円が2000万円馬券に。当てた人すごい。最高額を余裕で更新
競走馬の気持ちエピソード。競馬で短期間に同じ相手に3回競り負けるとダメです